図書館ではたらく私のささめごと


by straylight

デュレンマット『貴婦人故郷に帰る』

先ほどメインサイトにフリードリッヒ・デュレンマットの『貴婦人故郷に帰る』という戯曲の感想をアップしました。
だからその作品についてはわたしの言いたいことは言い尽くしたはずなのに、まだ頭の中でその作品について思いをめぐらせてしまう。
こういうのを名作と呼ぶのだと思う。
少なくとも『貴婦人故郷に帰る』はわたしにとってかけがえのない作品となった。

わたしが思いをめぐらすのはクレーレのこと。
億万長者となり、幾人もの夫を迎えては捨て、記者連中を人間とも思わないような尊大な態度をとりながら、いまだひとりの男を忘れることが出来ずにいる哀れな女性。

あんたの恋ははるか昔に死んだわ。わたしの恋は死ぬわけにはいかなかった。しかし生きることもできなかった。その恋は、わたし自身と同じように、邪悪なものになってしまったわ。
という彼女の悲恋についてわたしは思いを馳せる。
愛情が少しずつ憎悪に変わりゆくこと、しかもなお悪いことにそれでもいまだに愛し続けていること。
何十年も、何十年も。
デュレンマットは愛の深さと重さを知っていた作家だったのだろう。
多くの人は「真の愛は自分の希望や願いを捨てても愛する人のために尽くすこと」だと思っている。
わたしはそれを信じない。
そんな愛が存在するということを信じないのではなく、そんな愛が真実の愛であると考えることを信じないのだ。
人はみな、真実という言葉に惑わされて、勝手なイメージを持ち、美化し、神格化する。
でもわたしは真剣に問いたい。
真実の愛って何?
その答えは、客観的で論理的な帰結によるのではなく、その時その瞬間その問いに応える一人一人の人間ごとにあるのでは、と。
そして時には、真実の愛というものは、相手を手に入れたいと望み、願い、祈念し、その結果そのすべての希望を砕いた相手を憎むことでもあるのではと。
憎み、憎み、憎み、憎しみ抜くことの中にだって愛はあるのでは、そう考える。
べつにわたしがいまそういう愛し方をしているというのでは決してなく、ただあまりに多くの人が愛というものを神聖なものとして無批判的に定義していると感じているだけなのだ。

深く愛することが出来なければ、深く憎むことも出来ないだろう。
邪悪な恋と変わってしまったクレーレの想いの強さゆえにわたしは彼女に惹かれる。
その苦しみと痛みを想像し、その眠れぬ夜を想像する。
その涙を想像し、その堕落を想像する。
旋回しながら下降していく彼女の精神のために一揖する。

――メインサイトの更新のお知らせ――
本たちの紹介 著編者未詳『ニューヨーク・デリ』追加
本たちの紹介 ヴァレリー・ラルボー『A.O.バルナブース全集』追加
本たちの紹介 フリードリッヒ・デュレンマット『貴婦人故郷に帰る』追加
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by straylight | 2005-03-03 00:23 | 本についてのこと